
お生まれはどちらでいらっしゃいますか?

操子様:私は京都で生まれました。結婚してからは嵐山に住んでいました。息子が一人いるんですけどね、早くに独立して東京で就職しましてね。それからはずっと二人で過ごしていました。
どんなお仕事をされていたのですか?
五朗様:大阪経済大学を出まして、帝国データバンクの関西支店で働いていました。色々調べて新聞に発表したりするのが仕事でした。いわゆるサラリーマンではないです。自由な仕事でしたよ。出張が多くてね、北は名古屋から南は九州まで、色々なところを飛び回っていました。
操子様:私は中学校で音楽の先生をしていました。ピアノを弾いて歌をうたってね。あと、進路指導をしていましてね、それがすごく大変でした。生徒の話しを聞いたり高校を回ったりね、50歳までやっていました。
操子様:私は中学校で音楽の先生をしていました。ピアノを弾いて歌をうたってね。あと、進路指導をしていましてね、それがすごく大変でした。生徒の話しを聞いたり高校を回ったりね、50歳までやっていました。
どんな経緯でホームへいらしたのですか。家を離れるのは寂しくなかったですか?

ホームでのご生活はいかがですか。お友達はできましたか?

お部屋がご夫婦で別々ですが、どんな風にお過ごしですか?
操子様:主人とは部屋が同じ階の向かい側でしょ。近いしね、行ったり来たりしています。互いの声はドアが閉まってたら聞こえへんけどね、ドアを開けたら顔も見えますしね。食事はいつも一緒ですし、何も不便なことはないです。
家に居たときは晩酌もしてましたけどね、今はお酒はそんなに飲みたいと思わないみたいです。
五朗様:今はお酒はいらんね。
操子様:二人でここでゆっくりさせてもらおうと思っています。
家に居たときは晩酌もしてましたけどね、今はお酒はそんなに飲みたいと思わないみたいです。
五朗様:今はお酒はいらんね。
操子様:二人でここでゆっくりさせてもらおうと思っています。
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アーバンヴィラシリーズでは、ご夫婦でご入居いただいている方々が多数おられます。二つのお部屋でそれぞれにお過ごしいただいておりますが、夜間はぐっすりと眠っていただき、日中はお二人ご一緒にお過ごしになることが多いです。
また、ひとつのお部屋に衣装や荷物を置かれ、もうひとつのお部屋にベッドを二つ並べて置かれる方々もあります。ご夫婦のスタイルでお住まいになれるよう、随時ご相談をお受けしております。
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